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ミタンニ王国からの輿入れ、トリノ・パピルスとは何か

◎ミタンニ王国からの輿入れ
エジプト国王の王妃達は、王宮のハーレムに住んでいました。
一国の王女の輿入れともなれば、持ち込まれる調度品もミタンニ製であり、側使えの侍女もミタンニ人です。
また食べ物、ファッションもミタンニ風のものが取り入れられ、エジプトでありながらハーレムだけは外国のようになってしまいます。
ハーレム内は、旧来のエジプト派と、新来のミタンニ派に割れたと考えられています。
ここに、その妻を愛するファラオが通ったらばどういうことになるでしょうか。
知らず知らずのうちにミタンニ流の暮らし、考え方が身につき、政治姿勢や宗教観にも影響が出てきます。
第18王朝のアクエンアテン王については、王妃ネフェルティティの影響力は大きく、王が宗教改革を起こしたこと(エジプトの従来の宗教観を打ち破ろうとしたこと)と無縁ではないと考えられています。
つまり王の宗教改革の断行は、ハーレム内のミタンニ派の勝利であり、その後のアメン神の復興は、旧来のエジプト派の復権ともいうことができるのです。

◎トリノ・パピルスとは何か
トリノ・パピルスは王名をまとめた王命表で、現在トリノのエジプト博物館に収蔵されていることからこの名前があります。
歴代の王名表が記されており、トリノ王名表とも呼ばれます。
神話時代からの各王の名前と治世年数が記されているほか、いわゆる時代区分ともいえる試みがなされており、後にマネトーがエジプト史をまとめる際にも、類似のものを参照したのではないかといわれています。
また他の王名表では省略されることの多いヒクソスの王たちの名前も記載されています。
このパピルスが書かれたのは、ラムセス2世の頃です。
現在遺されているものは完全な形をとどめてはいませんが、元は約2mの長さがあったと考えられています。
幅は40cmほどで、ヒエラティクで記されています。
こうした王名をまとめた王名表には、その他に、アビドス、サッカラ、カルナクの王名表があります。


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ピラミッドについて

◎ピラミッドの内部構造について
クフ王のピラミッドを始め、発見されたほぼすべてのピラミッドの内部構造が調査されています。
いずれも基本構造は同じで、入口から玄室へ続く通路が延び、さらにピラミッドによっては地下の間などが造られています。
しかし今のところ、クフ王の大ピラミッドほど謎を秘めた空間を持つピラミッドはないといえるようです。
ピラミッドについては、次の書籍が参考になります。
『図説ピラミッド大百科』マーク・レーナー著、内田杉彦訳、東洋書林
『ピラミッド』アルベルト・シリオッティ著、矢島文夫訳、河出書房新社

これらのものに目を通すと、ピラミッドの高さがそれぞれの本で異なっていたり、考え方が違ったりということが分かります。
高さが違うというのは驚きですが(もちろん数メートルも違うという極端なことはないと思いますが)、測量記述や方法、どこからどの地点までを計るかという考え方に左右されるため、少しずつ異なっているのが現状です。
図ることができる数値でさえこのように異なるくらいですので、ましてやピラミッドとはそもそも何か、王の間にある石の箱は何なのかという解釈に千差万別の意見があるのは致しかたないことともいえます。


◎衛星ピラミッドは何のために造られたのか
埋葬など、人生儀礼とされるものには、古代エジプトでもやはり慣習がありました。
例えばギザのピラミッドですが、大きな3つのピラミッドのそばには、いずれも王妃や王女の衛星ピラミッドが付随して造られています。
そばに建造した理由というのは明確ではありませんが、永遠に家族のそばに寄り添いたいと思うこと、これは古今東西変わらぬ人間的な感情でしょう。
またエジプト人は、来世でも夫婦はずっと一緒に居るものと考えていましたので、なおさらです。
古王国時代にあこがれた中王国時代の王族達もこれに習い、夫や父のそばにピラミッドを造りました。

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ミイラづくりについて

ミイラ作りの技術は最初から確立されていたのではなく、時代の変遷とともに段階を踏みながら向上していきました。
現在エジプトで発見された最古のミイラは、紀元前3000年ごろのものです。
これは大英博物館に収蔵されており、ジンジャーとジンジェエラという愛称がつけられています。
当時の埋葬は単純で、乾燥した砂漠に置かれたり、埋められた遺体は乾燥し、自然にミイラ化されました。
やがてエジプト人は『手厚く埋葬する』ことに心血を注ぎ始め、墓を建造します。
しかし、建造物の中に遺体を安置したのでは乾燥が進まず、かえって遺体が損傷してしまうことに気付いたようです。
遺体を永遠に保存するための模索が本格的に始まったのは、古王国時代です。
第3王朝の終わりごろに内臓の除去が始まり、また遺体から水分を抜くためのナトロン(天然ソーダ。下エジプトのナトロンは良質の天然ソーダが採取され、塩=ナトリウムの語源ともなりました)の使用を開始したのもこの頃です。
処理がすんだ遺体には亜麻布が巻かれ、樹脂が塗られたり石膏が塗られたり、また顔の部分に死者の容貌が描かれたりしましたが、ミイラの出来栄え自体は稚拙なものでした。
中王国時代になると、ミイラの製作技術は俄然向上します。
さらに新王国時代になると脳の除去も始まり、保存がしっかりときくミイラが登場します。
現在数多く遺されている新王国時代のファラオのミイラも、当時の最高技術を施されたために今も見ることができるといえます。
実際ミイラ作りには、身分やそれにかけられる金額に応じて、松竹梅といったような等級さえありました。
さて、保存ということに関しては最高レベルにまで達したミイラですが、末期王朝時代になると、外見を整えることも重視されるようになります。
内臓の除去により凹んでしまう胴部を膨らませるためにおがくずを詰めたり、目の凹みを隠すためタマネギを置いたりしています。
さらに包帯巻の技術も進み、美しい幾何学模様を描いて巻かれたミイラが作られたのもこの時代です。
また漆喰でミイラを塗りこめ木棺代わりとするカルトナージュという技法も現れ、美しい宗教文書が描かれました。
ミイラ作りはギリシア・ローマ時代に入っても続けられ、この時代には特に顔の部分に似顔絵を描いた板絵を巻き込む方式が流行しました。

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花瓶とゴルフボール

こんな話を聞きました。

ある大学の講義で、教授が大きなガラスの花瓶を卓上に出し、花瓶の中にゴルフボールを入れて花瓶をいっぱいにした。
「この花瓶はいっぱいか?」教授は学生に尋ね、学生達はうなずいた。
次に教授は、小石がたくさん入った容器を卓上に出し、花瓶の中に小石を入れ始めた。
小石を入れては軽く花瓶を振ると、小石はゴルフボールの中の隙間に流れ込んで行った。
やがて花瓶はゴルフボールと小石でいっぱいになった。
「この花瓶はいっぱいか?」教授は再び尋ねた。
一人の学生が、「多分、違うでしょう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、砂袋を取り出し、花瓶の中に砂を全部流し込んだ。
砂はゴルフボールと小石の隙間をぎっしりと埋めた。
教授が「これでいっぱいになったか?」と訊ねると、学生達は声をそろえて「いいえ」と答えた。
最後に教授は、水を花瓶に注ぎ込んだ。
水は見る見るうちに砂の中に流れ込んでいった。

「花瓶」は、「人生」をあらわしています。
「ゴルフボール」は、「人生の中でもっとも大切なこと」を意味しています。
ゴルフボールを先に入れない限り、それが入る余地は二度とないのです。
あなたにとってのゴルフボールは何でしょう?
例えこのゴルフボール以外のすべてを失っても、それでも『自分の人生は十分に幸せだった』と思えるものです。
家族、愛する人、志、誇り、・・・ そういった人生で最も重要なことです。
そのゴルフボールを最初に花瓶=人生に入れなくてはなりません。
そうしないと、永遠に失うことになります。
次に入れるのは、小石=ゴルフボールの次に重要なものです。
後の砂と水は、それ以外の日常的な些細な事柄です。
多くの人が、最初に砂や水で花瓶をいっぱいにし、小石やゴルフボールを人生という花瓶から失っているのです。


この話をどこで読んだかは忘れましたが、かなりの衝撃を受けました。
7つの習慣などで、「重要だけれども緊急ではない事柄」ですよね。
でも、この「ゴルフボール」、人によっては間違ったものを選んでしまうのではないでしょうか?
最も多くの人が陥りがちなのが、仕事でしょうね。
あなたにとってのゴルフボールの見つけ方は、自分の最期の時を考えてみると分かりやすいかもしれません。
あなたが息を引き取る瞬間、何を考えるでしょうか?
多分、家族や親しい人の事ではないでしょうか?
仕事を考える人はほとんどいないのでは?




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オストラカとウシャブティ

◎オストラカとは
オストラカとは、土器片や石灰岩の破片に文字記録が残されたものを言います。
ギリシア語で「陶片」「貝片」を意味し、紀元前5世紀ころのアテネで
政治家の国家追放のための秘密投票の投票札として陶片が用いられていたのは有名です。
古代エジプトでも、パピルスは高価なものだったので、パピルスはもっぱら公式文書に用いられていました。
一方、生活の中で割れてしまった土器のかけらや、建材として切り出した石灰岩のかけらには、私文書やメモ、落書き、文字の練習、スケッチが書かれ、あるいはワインなどの荷札などにも用いられました。
オストラカは公式記録ではない分、生活に根ざした記録が残されたものだといえます。


◎ウシャブティとは
ウシャブティとは古代エジプト語で「答える者」という意味です。
古代エジプトでは、遺体と共にウシャブティを納めました。
これは来世で死者の代わりに労働をさせるためです。
来世では幸せな生活を送ることができるのですが、現世と同じように労働もしなければならないと考えられていました。
そのため、死者が来世で少しでも働かなくていいように、労働監督官の点呼の際に死者の代わりにに返事をするようにとの願いをこめ、ウシャブティ(答える者)が納められたのです。
労働はほぼ一年中ありましたので、日替わりで働けるよう、400体ものウシャブティが納められた例もあります。
また現在博物館などで見ることができるウシャブティには、よく見るとスキやモッコ(農作業用の籠)を背負っているものがあります。
このことから、農作業に従事させるために作られたことがわかります。
さらに、ウシャブティには死者の書の呪文も書かれ、死者を守る護符としての意味も強かったと考えられています。
なおウシャブティは、シャブティ、シャワブティともいいます。


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